鍼灸師 中川 照久
2021/1/12更新
治療にも「準備」がある
何事においても、「準備」は大切です。
本当に、何かを成し遂げる必要がある時は、ぶっつけ本番ではなく、あらゆる可能性を想定し、入念な戦略を立て、万全の準備を持って事に当たることをお勧めします。
学生時代にバイオリンを習っていた頃、先生に「オーケストラを指揮する一流のマエストロは、本番の演奏が始まる前に、9割方の仕事を終えている。」という話を飽きるほど聞かされたことをよく覚えています。
さて、治療における準備とは何でしょう。
もちろん、体調管理や治療者としての心構えや哲学、日々の技術的鍛錬や絶え間のない知識の収集も準備と言えるでしょう。
しかし、治療をする上で一番重要な準備とはやはり、身体を正確に「評価(診断)」することです。これに尽きます。
「評価(診断)」とは何か?
「評価」とは、いわゆる「診断」のことです。
治療家の力量を計る上で、最も差が出るのは、どれだけ正確に準備できるかという能力、つまり「評価力(診断力)」です。
治療をする上で、患者様の心身の状態を正確に見抜き、最善の評価をすることが最高の治療の基盤を成します。
最善の評価なしに、最高の治療はできません。
当院では、西洋医学的な検査法も用いますが、鍼灸治療の独特の診察法として「四診」も併せて用います。
四診とは、「望診」「聞診」「問診」「切診」の四つ診察法のことです。
望診は、西洋医学における「視診」のことで、視覚的な情報によって患者さんの心と身体の状態を評価する方法です。
顔の相を診る
当院では一般的な東洋医学的な望診に加えて、「顔相」も観察します。
「顔相」とは、人相学の一つで、顔のつくりや、表情の作り方、言葉を発する際の口元の筋肉の使い方を診て、心と身体の在り様を評価する方法です。
人相学は、古代ギリシャの時代からあり、ヒポクラテス、アリストテレス、プラトンなどの医者や哲学者たちによって盛んに研究されてきました。
日本でも、古くは室町時代から人相学の本が流通しており、浮世絵で人物の性質を表現するためにも人相学が用いられていたそうです。
人の顔は、その他の身体のパーツに比べても構造が複雑で、同じ人種であっても違いが明瞭です。
また、人間の表情を作り出す「表情筋」は、脳の神経に直接支配されているので、表情はその人の「脳」の状態を反映しています。
ですので、その人の思考の癖や感情、元々の性格や過去のトラウマなどが顔や表情の作り方に如実に現れてしまうものなのです。
このような「顔相診」などの望診によって、人を瞬時に見抜く技術には、術者によって相当の差が出ます。
もちろん、問診で丁寧に話を伺ったり、切診(触診のこと)で筋肉や皮膚、脈の具合を診ることも非常に重要ですが、問診や切診は、適切な指導を受けて適切な鍛錬を積めば、望診ほど習得困難ではありません。
声を診る
また、聞診という診察法にも技量の差が出る場合が多いです。
聞診とは、聴覚的な情報から、その方の心身の状態を診るものです。
また、患者さんの体臭などの嗅覚の情報からの診察も聞診に入りますが、日本人は体臭ケアにマメであるため、よほどの重症でない限り、体臭での診察は有効でない場合もあります。
聴覚的な情報の中でも私が重要視するのは、言葉の発語の仕方、つまり喋り方です。
人間ほど複雑な発声をする動物はいません。
多種多様な発声は、言葉を生み、様々な言葉は高度な思考を可能にしました。
人間は、言葉によって思考を整理しているのです。
発声を司る神経は反回神経という迷走神経の枝です。
そしてこの迷走神経というのも脳から直接伸びている神経(第X脳神経)なのです。
ですから、声色というのもやはり、その人の性格や感情をつぶさに反映してしまうのです。
この声色を読む技術において必要なのは、知識だけではなく、発語のテンポやイントネーションを聞き分ける「音感」も不可欠です。
しかし、このような音感は、ある程度の年齢を過ぎてしまうと習得が極めて困難なのです。
両面から診る
以上のような望診や聞診の技術力は、素早く正確な心と身体の評価を可能にしますが、もう一つ欠かせないのが、西洋医学的な評価力です。
治療家やセラピストの一部には、西洋医学を軽視しているのか理解する能力がないのかは分かりませんが、あまり西洋医学的な評価・判断をしない方々がいます。
西洋医学は、物質的な医学です。目で見えるか、理論で捉えられるものを扱っています。
東洋医学は、機能的な医学です。目では見えないものや、理論的に説明が難しいものも扱う場合があります。
ならば、物質的なものすら最低限理解できていない者が、果たしてそれ以上のことが分かるのでしょうか。
私には、そうは思えません。
東洋医学を主体とする治療をするにしても、西洋医学的な評価力は言うまでもなく不可欠です。
治療は、むやみに身体をほぐせば良いと言った単純なものではありません。
不適切な刺激は効果がないばかりではなく、逆に状態を悪化させてしまう場合もあるのです。
治療にも、治療自体と同じくらい大切な「準備」があります。